これまで個人で続けてきた仕事は、そのまま残したい。一方で、新しく始める事業は法人で動かしたい。
この場合、「会社を作ったら個人事業は廃業しなければならないのか」という疑問が出てきます。結論からいうと、個人事業と法人を並行して続けること自体は可能です。
ただし、帳簿の上で二つに分ければ終わり、という話ではありません。契約したのは誰か、仕事をしたのは誰か、費用とリスクを負ったのは誰かを、取引ごとに説明できる状態にしておく必要があります。
分けるべきなのは「業種名」より取引の実態
個人事業と法人を分けるとき、最初に「既存事業は個人、新規事業は法人」と線を引くことがあります。方向性としては分かりやすいのですが、実務ではもう一段細かく見ます。
同じ顧客に二つのサービスを提供する、共通の広告から問い合わせが来る、同じパソコンや事務所を使う。こうした取引では、業種名だけでは売上や経費の帰属を決められません。
ここがポイントです。請求書の名義を後から選ぶのではなく、契約、役務提供、請求、入金を同じ主体につなげることが大切です。
個人と法人で、最低限ここまで分ける
会社は代表者と同じ人ではありません。代表者が一人の会社でも、個人と法人は別の納税者です。税務署への届出、会計、申告、消費税の判定も別々に進みます。
| 確認項目 | 個人事業 | 法人 |
|---|---|---|
| 契約 | 個人を当事者とする | 法人名と法人の権限で締結する |
| 請求書 | 個人の屋号・登録番号等を使用 | 法人名・法人の登録番号等を使用 |
| 入出金 | 個人事業用口座で管理 | 法人口座で管理 |
| 帳簿・申告 | 暦年で所得税を申告 | 定款で定めた事業年度ごとに法人税等を申告 |
| 消費税 | 個人として判定 | 法人として判定 |
口座開設に時間がかかり、設立直後だけ代表者の口座で法人代金を受け取る場面もあります。その場合でも、法人売上である根拠と、個人が一時的に預かったお金の流れを残します。便利だからと長期間混ぜると、未収金や役員との貸し借りが増え、残高確認が難しくなります。
設立前に決めたい6つの順番
1.どの仕事を法人で引き受けるかを文章にする
「新しいほうを法人にする」だけでは、数か月後に境界が分からなくなります。サービス内容、対象顧客、販売経路、責任の所在を一枚にまとめます。既存顧客へ別サービスを提案する場合は、契約変更や追加契約の要否も確認します。
2.契約・請求・入金の名義をそろえる
法人が契約し、法人がサービスを提供したのに、個人名義で請求して個人口座へ入金すると、売上の帰属を説明しにくくなります。取引先の登録情報、決済サービス、ECサイト、請求書のひな型まで切替対象を一覧にします。
3.共通経費の分け方を決める
事務所家賃、通信費、広告費、ソフト利用料などは、個人と法人の両方に関係することがあります。面積、利用人数、利用時間、売上との対応など、取引に合った合理的な基準で分け、その基準をメモに残します。
毎月違う割合を感覚で使うより、実態が変わったときに見直せるルールを決めるほうが、後の確認はずっと楽です。
4.資産や契約を移すなら、移転として処理する
個人で買った備品、在庫、ウェブサイト、顧客契約を法人が使う場合、自動的に法人のものになるわけではありません。売却、賃貸、使用許諾など、実態に合う方法を選びます。価格や消費税の取扱いは資産と条件で変わるため、契約前の確認が必要です。
5.個人と法人の取引条件を残す
個人事業が法人へ業務を委託する、法人が個人事業へ場所を貸す、といった取引も考えられます。ただし、代表者が両側にいる取引だからこそ、業務内容、金額の決め方、請求時期を文書にします。
取締役として行う仕事の対価を、外注費にすればよいとは限りません。役員報酬に当たるか、個人事業として独立した業務かは、契約名ではなく実態で判断します。
6.税務・インボイス・社会保険を別々に確認する
国税庁は、個人の開業・廃業等届出と法人設立届出を別の手続として案内しています。個人事業を実際に続けるなら、「会社を設立した」という理由だけで個人事業の廃業届を出すものではありません。
また、個人が適格請求書発行事業者でも、その登録番号を新設法人が使うことはできません。法人は法人で、消費税の納税義務とインボイス登録の必要性を検討します。法人事業所は、代表者一人の場合を含めて健康保険・厚生年金保険の適用確認も必要です。
いつ何をする?設立前後の流れ
- 設立前:個人に残す業務と法人へ移す業務、契約先、資産、共通経費を一覧にする
- 設立時:事業目的、決算月、役員報酬、資金計画、消費税・インボイス方針を決める
- 設立直後:税務届出、社会保険、口座、請求書、決済サービス、会計ソフトを法人用に整える
- 最初の月:入金先の誤り、個人立替、共通経費、個人・法人間取引を月内に確認する
- 初回決算前:売上の帰属、未請求、在庫・固定資産、貸借残高を契約資料と照合する
決算時に一年分を分け直すより、最初の請求書を出す前に運用を決めるほうが早く、修正も少なく済みます。
二つの仕事を同じ口座で始めない
個人で専門サービスを続けながら、新しい物販事業だけを法人で始めるとします。物販の仕入契約、ECモール、請求書、入金口座は法人へそろえ、専門サービスの契約と売上は個人に残します。
共通のウェブ広告は、問い合わせの記録などから合理的な基準を決めて負担します。個人所有のパソコンを法人でも使うなら、所有者、利用方法、費用負担を整理します。
この例で大切なのは、節税になる形を先に選ぶことではありません。取引の実態と書類とお金の流れが一致する形を作ることです。
相談前にそろえる資料
- 個人事業の確定申告書、青色申告決算書、消費税申告書
- 個人事業の主な契約書、請求書、口座・決済サービスの一覧
- 新規事業の事業計画、見込顧客、販売経路、資金計画
- 法人へ移したい資産・在庫・契約の一覧
- 個人と法人で共通利用する場所、設備、広告、ソフトの一覧
- インボイス登録状況と、取引先から求められる請求条件
資料が全部完成していなくても、一覧があるだけで判断は進みます。むしろ契約や請求を始める前に、不足している項目を見つけることに意味があります。
よくある質問
会社を作ったら、個人事業の屋号は使えなくなりますか?
個人事業を継続するなら、屋号を使い続けることはできます。ただし、法人名と屋号を相手方が混同しないよう、契約書や請求書で取引主体を明確にしてください。
個人と法人で同じ会計ソフトを使えますか?
同じ製品を使うことはできますが、帳簿データは別にします。口座やカードの連携先も分け、誤って反対側へ登録された取引を毎月確認します。
個人の売上を法人へ付け替えれば、法人の実績になりますか?
請求名義だけで自由に付け替えることはできません。契約、役務提供、費用負担、責任などの事実から売上の帰属を判断します。
個人事業を残すと、必ず節税になりますか?
必ず有利になるものではありません。申告や記帳の手間、社会保険、消費税、管理コストも増えます。事業上の必要性と税負担を合わせて比較します。
税理士へ相談するなら、最初の契約・請求の前に
個人事業と法人の並行そのものより、後から売上と経費を分け直すことのほうが難しいものです。新設法人の最初の請求書を出す前なら、契約名義、口座、会計、届出を同じ設計図で整えられます。
浅井匠也税理士公認会計士事務所では、既存の個人事業を確認したうえで、会社設立と設立後の経理・申告を整理します。設立手続の全体像は会社設立・創業・開業支援、継続支援の内容と料金は法人顧問料金をご確認ください。契約条件は見積書・契約書で個別にご案内します。完全オンラインでも対応可能です。
免責事項
本記事は一般的な情報を整理したもので、個別の税務判断を保証するものではありません。売上・費用の帰属、役員報酬、資産移転、消費税、社会保険の取扱いは、契約内容と実態によって異なります。実行前に税理士その他の専門家へご確認ください。

